学生時代の私は貧乏だった。
「だった」と過去形で書くと、では今は裕福なのか? という疑問が上がってきそうなものだが、それはまた別の話として、学生時代――とりわけ高校を卒業して以降、専門学校に通っていた時期は、とにかく貧乏だった。
家庭の事情から実家を離れて始めた一人暮らし。仕送りなど望めるべくもなく、生活費の一切から学費・教材費に至るまでのすべてを自分で賄わなければならず、自ずと暮らしは逼迫した。
節約を余儀なくされるのは当然。
冷暖房の使用を極力避ける、や、給湯になるべく頼らない、などの初歩的な光熱費対策はもちろんのこと、出費の逐一をノートに記入し、不要な浪費を阻止するよう心掛けていた。
中でも目に見えて切り詰められるのが食費だった。
一食あたり100円以下、という目安をつくって、限度を超えないように注力した。
一見達成の難しそうな値段設定に感じるかも知れないが、夕飯などはアルバイト先に飲食店を選べば賄いで済ませることができた(=無料)し、自宅で食べるものも、白飯に納豆などでやりくりしていればやっていける。どうしても窮乏していたならば、最悪一食ぐらい食わなくても何とでもなる。
とまあ、これぐらいは貧乏だった。
これは何も節約自慢をしたいのではなく、そうしなければ生活していく術のない、生きていくための手段だったのだ、ということを今一度強調しておきたい。
学校での昼飯は、極力弁当を持参した。
弁当箱と呼ぶにはおよそお粗末な、100均で買った仕切りも何もないプラスチックのケースの一段目に白飯、二段目にチルド食品、という、今思うとよくもまあ、あんな代物を人前で食えていたものだと感じずにはいられない内容。
弁当(みすぼらし過ぎて、果たして弁当と呼んでいいのかわからないが…)を用意する時間が無かった日には、近くのコンビニで買うカップ麺への出費すら出し惜しんで我慢する始末。
さすがにそれを見兼ねた友人が、ある日おにぎりをくれるようになった。
どうせもう一人分握る量が増えたからといって大して労力は変わらない、と、自分の分とは別に二つ、私の分として持ってきてくれるようになったのである。
その好意のなんとありがたかったことか。
大袈裟ではなく、あの時のおにぎりがあったから、今私が生きている、といっても過言ではない。
ひもじさは精神をも蝕むとでも言おうか、あの頃の自分は経済的な逼迫もさることながら、そこから生じる先行きの見えなさに途方のない恐れを感じていた、ように思う。
ともすると、その場からすぐに崩れ去ってしまいそうになる心許なさから救ってくれる温かさが、あのおにぎりにはあった。
あの頃の自分を見捨てずにいてくれた人が少なからずいたからこそ、今の自分が在るのだと感じている。
いくら感謝してもし尽くせない。
あれから十数年生きてきたが、あれ以上においしいおにぎりを、私は知らない。
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■今日の一曲
スピッツ「楓」
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