米の価格高騰に対する報道のあれこれ、疲れちゃうね。
値段が高いなあ、という実感はさることながら、それに対する有識者の見解などを見るにつけても、どうにも的外れだと思わされることが多くうんざりしてしまいます。
あまり深追いはせず、見出し記事を掻い摘んでいる程度なので、ひょっとしたら私の勘違いであるのかも知れないのだけど、なんだかお偉い人たちの神経は、消費者の感覚とあまりにも乖離し過ぎているように感ぜられてなりません。
JAですっけ? ごはん一杯の値段とその他主食との価格差を引き合いに出して「それでも高いと感じるか」といったセンス無いコピーの広告を出したのって。
もうね、戯言以外の何物でもないですよ。
消費する側はそんな、ほかの食品との価格比較をしているわけじゃなくって、これまで「この値段」と想定して購買できていたものが、ものの数ヶ月のうちに倍以上にも値上がりしていることを嘆いているんですよね。論点ずらしにもほどがある。
こういうコピーを平然と打てる人ってどうなんですかね、例えば「今後メールの送受信は一通につき5円課金します」ってなったとしても不満はないのかな。
「電話の通話料約10円、ハガキ一通85円、それでもメールは高いと感じますか?」
これまで0円想定で使用できていたものが急に課金されたら、たとえそれが微細なものだったとしても、なーんか嫌な気持ちになりますよね。
こうしたケースでJAの人らはゼッタイ文句垂れるなよ! と言いたい。
物価上昇は米だけに限らない。
値段を上げざるを得ない事情があるのなら、それは仕方のないことだ、と思う。
それを「高い」と感じてしまうのは、私自身が社会の景況変化に付いていけていない情けなさに起因していることもあるのだろう。甘んじて受け止めて、いつか「それが普通」だと感ぜられるぐらいには生活水準を上昇させるべく耐えて生活しようと思う。
けど、今回の米の価格上昇に関する供給を司る者たちのムーブは、そんな庶民の切実な気持ちを悉く踏み躙るものだ。
為される事情説明のいちいちに「私たちが米を食わせてやっている」かのような驕慢さが垣間見え嫌になる。
そうなってくると、受け取る側としてはもう有難がる気も失せてしまうんですよね。
値段が高い、とかそういった以前に、そんな態度を取られたんであれば、たとえ金があろうと「もう米なんか食うかよ!」という選択になってくる。
真摯に生産に携わっていらっしゃる方も多数いるだろうことは承知の上で、それでも、今のこの苦しい状況は、多少の敵意を含んだ上で言わずにはいられない。
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■今日の一曲
beabadoobee「Ever Seen」
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