AIの台頭に対する向き合い方

デザインの現場で働く知人からこんな話を聞いた。
先方がAIを使用して広告を制作しようとしたが、ディティールをうまく仕上げることができず、その制作物の細かな調整を頼まれた、と。
内容を聞いてみると、通常使用しているデザインアプリケーションに落とし込んでやるには甚だ面倒な作業。面倒、というか、もしゼロから制作を依頼されていたなら到底踏むはずのない手順であって、二度手間、三度手間以上の行程である。
当然“修正”の範疇を超える作業であって、本来であればきっちり作業料をとるべき仕事だ。


しかし、どうやらこれまで長きにやりとりをしている顧客であって、普段請求している以上の金額は頂戴することは難しい、とのことだった。デザイン代は一切とれずに、印刷代のみの請求がデフォだというのだ。
なんだかなあ、と思わずにはいられない。
この先の取り引き継続を踏まえて、ある程度の作業を“サービス”として請け負うことは吝かではないけれど、領域外の者が誤って手を出してしまったものに対しての、いわば“尻拭い”となると、ちょっと話が違ってしまうのではないか。何から何まで安請け合いをしてしまっては、今後「デザインの仕事」は軽んじられていくばかりである。


医療に例えてみよう。
病気の患者が、医師免許も医療の知識も無いままに、自分の判断で間違った処置を行う、未承認の薬を使う――その結果容体を悪化させてしまったとして、医者はどう思うだろうか。
とてもほかの患者へ向けるのと同等の、献身的な慈悲は持ち得ないだろう。
医療行為の高尚さに比べたら、デザインなど卑小なものに過ぎないかも知れないが、先に例を挙げた「AI使ってデザインやってみたけどうまくいかなかった。中途半端にできちゃったやつを、あとはワタシの意図を汲んで完成させて」という頼み事は、デザイン領域内での“保険適用外”、“無免許行為”に値する、という思いが、いちデザイナーの見解として拭えない。
自力でなんとかできるならいい。
けど結局最後に専門家に頼む逃げ道を作るのであれば、それ相応の覚悟を持って取り組んでほしいものである。
ほかならない、今回知人から聞いたこの顧客が病院だったため、敢えて医療に例えてみるような真似をした。医療分野に対して特別な他意はなく、今回取り上げた話題はどんな専門分野にも当て嵌まるものではないかと思う、ということを補足しておく。


AIの台頭によってデザイナーの仕事は無くなる、などと取り沙汰されているけれど、今回のようなケースが当たり前のようになってしまえば、すなわち無償の行為が増えるわけで、無くなるどころかむしろマイナスへ進んでいくのではないか、という危機感さえ感じている。





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■今日の一曲
Slowdive「Waves」

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